レキシアターの舞台となる昔の日本は色んな賭博があった
レキシの楽曲をベースに作られたミュージカル・愛のレキシアター「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」は、古代から江戸時代ぐらいまでの舞台を背景にした物語です。
さまざまな時代から色々な歴史上の人物が登場人物として現れていきますが、歴史を紐解いていくと、レキシアターの舞台となっていた時代には、さまざまな賭博が存在していました。
したがって、これから紹介するギャンブルも登場人物がプレイしていた可能性があります。
この記事では、主に江戸時代を中心として昔日本で流行っていた賭博をご紹介します。
江戸時代には、さまざまなギャンブルが登場
日本における賭博の歴史は、確認できるものでも「日本書紀」に書かれている時代、つまり1500年以上あります。
古代から続く遊びの一つして、文字がなかった時代からあるといっても過言ではありません。
とはいえ、昔のものは非常に単純なものが多く、実際にかっちりしたルールとして多くが広まったのは江戸時代と言えるでしょう。
下記は、その代表例です。
双六
「双六」というのは、大きな紙にコマが描いてあり、サイコロを振って出た目だけ進みゴールを目指す遊びです。
現代では子どもを中心として人気のあるゲームですが、江戸時代では主に賭博的な用途で大人子どもを問わず非常に人気があったようです。
江戸時代には、現代のものと同じやり方の「絵双六」ではなく、バックギャモンのような「盤双六」の方が人気だったようです。
ちなみに、人気は相当だったようで、当時の幕府が禁止令を出すほどだったようです。
サイコロ賭博
「チンチロ」で有名なサイコロ賭博も人気でした。
こちらの歴史は古く、手軽に持ち運びできることから戦国時代から存在しています。
「半丁博打」というように、出る目が偶数か奇数かで賭けを行ったり、ルールも非常にシンプルなものが多かったようです。
かるた賭博
新年によく遊ばれる「かるた」ですが、これもギャンブルと深いつながりがありました。
かるた自体は、安土桃山時代にポルトガルから輸入したものですが、これを日本でアレンジした結果、当時の女中を初めとして女性の間で大流行したようです。
あまりに流行すぎて、「寛政の改革」ではかるたの製造と販売が禁止になったほどです。
花札
かるたが当時の幕府から禁止された結果に誕生したのが花札です。
かるたよりサイズが小さく、描かれる絵もそれとは大きく違います。
しかし、製造業者の努力むなしく、これも後々幕府に禁止されてしまいます。
とはいえ、明治時代になると販売・製造も再度許可されるようになり、再び人気が出るようになります。
富くじ
現代で一般的に買われている宝くじの原型となっているのが、この「富くじ」です。
現代と同じく、こちらも幕府公認でした。
販売は寺社で行っており、売上は寺社の修繕等に充てられていたようです。
レキシアターの登場人物が現代でギャンブルをするなら、オンラインカジノか?
さまざまな時代から登場しているレキシアターの登場人物ですが、もし彼らが現代に現れてギャンブルをしたとすると、まずはオンラインカジノを手にするかもしれません。
下記では、その理由について説明します。
どこでもプレイ可能
スマートフォンやパソコンさえあればプレイできます。
レキシアターの登場人物が現代に現れたとしても、さすがにまずはスマートフォンを手に入れると思いますので、事実上コストなしですぐに始められることになります。
入金不要ボーナスなど、お得にプレイ可能
プレイ開始時には、オンライン カジノ入金不要ボーナスやフリースピンなど、お得なキャンペーンがいろいろあります。
お得に開始できるで、現代に現れてすぐのお金が無い状態でも効率良く始めることができます。
プレイ方法も手元のスマートフォンですぐに調べられる
仮に江戸時代からキャラクターが表れたとすると、その時代では存在しなかったゲームや海外のゲーム等のプレイ方法はきっとわからないでしょう。
しかし、スマートフォンですぐにプレイ方法を調べることができるので、気になったゲームでもすぐに楽めるようになることでしょう。
まとめ
以上、レキシアターの舞台となっていた古代から江戸時代までのギャンブルについてと、仮にレキシアターのキャラクターが現代に来たとしたら、どんなギャンブルをするのかということについて解説しました。
ギャンブルはいつの時代も必ず存在し、人々を熱狂させています。
したがって、オンラインカジノのような新しいギャンブルでも、ルールさえわかればレキシアターのキャラクターのような古代の人物でもすぐに楽しめるようになるでしょう。